こらむ 117  創造性という視点で  3

テレビで「銀閣寺」の修復についての番組を見た。そこで「やっぱりそうか」と思い当たる部分が科学的な裏付けで実証されていた。それは何点かあるが、まずこの建物が無垢の木材のまま歴史の風雪に耐えていたと言うのは信じがたい、と感じていた。金閣寺は金箔が張ってあって、その後から造られたものが、風流故に何の塗装も無しに完成させたという考え方には一理ある。しかし私なら漆を薄く、薄く解いて、何度もしみ込ませるように塗る、と今から40年程前に考えていた。今回の調査では、漆のうえに「白土」が塗られていた痕跡が発見されたと言う。白い色を塗るとまでは考えなかったが、木材を知り尽くした建築師が白木のままで、その建築の寿命も乗り越えた美意識を持ち得たろうかと考えたのである。それはともあれ、あの庭園である。義政のの命を受け、善阿弥が指揮をとって作庭したと言われているが、それにしては全体構造に不自然な部分がある。とりわけあの有名な「銀沙灘」と「向月台」は美意識が違う。きっと別な時代に別な人間が付け加えたに違いない、と言うのが私のまったく裏付けのない40年前の直感的推理であった。何のことはない。江戸時代の絵図に「それらがないもの」「表れたもの」「大きくなったもの」「今と同じになったもの」が残されているというのである。これらについてまったく無知であった私の空層的推理であった。しかしそれにはそれの経緯がある。同じ時期に京都のあまり観光客の行かない寺を探索する性癖が身に付いていて、たまたま洛北・鷲ヶ峰にある「正伝寺」という寺に辿り着いた。庭園が素晴らしいと観光案内書に書かれていたが、それは見事に荒れ果てていた。京都の街を借景としているはずが、樹木が生い茂り何も見えない。つつじによる枯山水というがそれが伸び放題という状況であった。数年後に性懲りもなく正伝寺を訪れる。参道途中にゴルフコースが横切り、山道の階段を登りきるとそこには案内書通りの庭園が待っていたのである。整備された庭園を見て、当たり前のことを思い知れされたのである。私たちの見る庭園は、その昔設計されたものではあるが、現代の庭師無しにには考えられない「生もの」であった。長い長い時代を経て、多くの庭師によって作られ続けて、それを歴史的遺産と誤解しながら我々は鑑賞する。このような仕組みを意地悪く観察していた時期に銀閣寺の庭園にも疑いの眼を持っていたと言う次第。誰が「銀沙灘」や「向月台」をどうやって始めたのか、当時どのような出来事があったのか、これは一つのドラマが書ける出来事であったろうに、その記録は全く発見されていないそうである。私のように「創造性」のアクセル踏みっぱなしの人間だけではなく、多くのブレーキをかける有識者や民衆の中で、時間を掛けて、違った部分を作ってしまうなど大変なことであったろうに。このような「変革」は「能」や「歌舞伎」の変化、書道や華道の変革にもさまざまな形を見ることができる。「××流」などという流派はその痕跡である。「昔からこうであった」などという人は信じてはならない。「昔からこうであった」というものが今あるとすれば、そのものは形が同じであっても、物体として同じであっても、その「存在する意味」は変質するものなのである。     2010.6.28

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