こらむ 115  創造性という視点で  1

テレビを何気なく見ていたら、ある歌手のインタビューをやっていた。「私は歌う時、動作は自然にでてくるので、事前の振り付けなど一切ありません」と言う。かなり大きな身振りで舞台を動き回るし、大きく明快なジェスチャーではあるが「だから毎回違うんですよ」と照れくさそうに言う。そういえば今時、多くの歌手が振り付けしの振り付けに従って、歌に合わせてきっちりと動き回るのが流行である。それで日本全国「ユーホー」や「松健サンバ」で踊り狂うと言う訳。ほんと平和って素晴らしい。見る側を参加させて楽しませるにはそれなりの意義がある。しかしアートを造る側として、ここは考えておかなければならない本質的な問題がある。歌手は、毎回「同じ形で動作すること」と、「感動的に歌う」ことと連動させて、繰り返し表現する訳である。演劇やオペラ、ミュージカルの演出と演技と、その繰り返し公演の中にはそのような問題がある。ある時、宝塚出身の友人が画廊で個展を開いた。裏方としてお手伝いをした私もその「ご苦労さん会」に出席した時のことである。彼女を含めて数人の「宝塚出身者」が並んでいたので、彼女の友人の落語家が質問をした。「あなたたちは舞台で失敗をしたらどうするのですか」その後のアドリブをどうするのかを期待した質問である。ところが答えは明快、口を揃えて「私たちは決して失敗はいたしません」であった。彼女らは失敗をしないように繰り返し、繰り返し練習をし、「決して失敗をしない」ことに誇りを持っているのである。これが私が宝塚の舞台を見たがらない正体かと納得をした。彼女らは華やかな集団操り人形なのである。それはそれで意味のあることで、私とは関係ない世界の出来事である。では、さまざまな舞台はどうなのか、一概にいえないが、この問題はさまざまな形で存在する。その時その時で演奏の違うジャズと一糸乱れぬ演奏を要求されるオーケストラとの比較はどうだろう。それぞれ才能のあるミュージシャンが100人も集まって操り人形やっているのがオーケストラだなんていう見方はちょっとひねくれ過ぎているか。もっと突っ込んで考えれば、クラシック音楽における「創造性」とはどのようなものなのか、考えておかなければならない。確かにベートーベンは偉大で、モーツアルトは天才だろう。しかしそれを演奏するあなたは何者?ひどい人は、「モーツアルトはこう考えていたから、こう弾く」などとさも専門家ぶって、発言する。モーツアルトはその昔、その譜面を書いた人で、演奏する現代人のあなたは何を創造するのかを問いたい。こういう考えを持つことすら不敬だと考える雰囲気が音楽界の遅滞をより強固なものとしている。それに比べて、ジャズは演奏の瞬間瞬間、創造活動の連続である。演奏者は常に「創造的」であることを要求され、聴取者はそれを楽しんでいる。クラシックの世界とジャズなどの世界との位置関係を見ていると、門外漢の私にとっては何とも不思議な光景なのである。   201.6.26

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