こらむ 114   人間のなすべき仕事 7

これまで1週間にわたって「人間のなすべき仕事」について書いてきたが、これは結局のところデジタルアートのあるべき姿を探索する作業なのである。こらまで何度も書いているように頭脳が事前に考える計画などより、制作をしながら考える「造形思考」を大切にしなければならないのだが、デジタル表現においては身体的・筋肉的思考が基本的に欠落している。描くことの快感も、削ることによる発見もない。デジタル表現において、この欠如している部分をどのように補っていくかが最大の問題である。その表現経過での特色は、圧倒的なイメージの湧出にある。一つのイメージからでも無限に枝分かれして、しかも短時間にわれわれの視覚に溢れ出てくる。このイメージの制御とその活用こそデジタル表現における「思考」の中心点である。それは豊かで魅力的なイメージの原料(視覚的資料)と、それを予感させるコンピュータ操作と、そこに提示されるイメージの選択から始まる。制作された途中のイメージも、どのように分類され、保存されるかも、これまでの作家活動にはない重要な作業となる。(「ピカソの写真」との関わりをみると、彼はその基礎的な作業をきっちりとしていたようにもうかがえる)さらにそこで現実の問題として起こる「イメージ洪水」に対応出来る柔軟で、論理的な対応が要求される。このようにこれまでの作家とは異なった能力が要求されるのである。専門教育において、写真の基本技術やアニメーションの表現法や映像の機材指導は行なわれていても、この基本的能力の開発について配慮がなされていないのは残念である。ともあれわれわれ「デジタルアーティスト」が現実の問題としてこれまでの表現と同等に作品制作するにあたって、表面的に「コンピュータで描いた作品」を発表するだけではなく、「コンピュータでしか描けない作品」を「コンピュータで制作する作家の生活」から生み出す状況を造り出していかなければならない。それは、これまでの作家がアトリエと云っていた制作空間から、日常的なタイムスケジュール、人間関係の在り方まで考え直して構築し直さなければならない。それは「創造的行為」の ポイントが異なり、人間における「なすべき仕事」が大きく変わっているからなのである。                      2010.6.25

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