こらむ 112   人間のなすべき仕事 5

20世紀の初頭にクールベよりはるかに深く「写真」に関わっていた画家がいる。バブル・ピカソである。1998年には東京渋谷の文化村ミュジアムで「ピカソと写真」展が開催されている。ピカソが写真とどう関わっていたかを示す重要な展示会であった。しかしそれを見た私は軽率にも「ピカソは自分でもカメラを持ち、沢山の写真を撮っていた」との程度の認識しか持っていなかった。だからピカソは写真を撮りながらも、写真的な表現を拒否し、クールベとは異なった関わり方をしていたと考えたのである。しかしそれはすっかりピカソに騙されていたのである。彼は生前ほとんど写真等の資料を公開することがなかったという。しかし現実には1万数千点にのぼる資料が彼の明確な意志によって残されていたのである。本人が撮った写真、専門家である友人(これが実に多い)の写真、絵はがきからカタログなど様々な資料を残している。この資料を元に研究をしている方がおり、例えばアメリカの作家で20世紀初頭からのピカソの友人であったダートルード・スタインは、「ピカソにおけるキュビズムと写真の関係」を指摘しているそうである。これらの多くの方々の研究をもとにした展示会が何回か開催され、その再編集したものが日本でも展示されたということらしい。展示会の折には展示された写真を見、深くは考えず、230頁ほどのカタログも購入した。それをこのほど読み返して自分の浅はかさを思い知らされた。そのカタログによると、あの「青の時代」や「桃色の時代」からキュービズム、シュールな作品から、ゲルニカ、新古典主義の作品までぴっしりと写真の資料が存在するらしい。それよりも彼の制作における資料、制作中の思考、制作中の経過の記録、完成された作品等の全ての経過の中で写真が積極的に活用されているのである。さらにマン・レイなどが行なった実験的な技法フォトグラムやデグバージュ、エルビノグラフィーなどの作品も残している。改めて『ピカソと写真』は十分研究する意味がありそうである。ピカソが現代にまだ生きていたら、きっとコンピュータ大好き人間として多くの作品と様々な業績を残すに違いない。(コンピュータに対して否定的な発言をしていたという記録もあるが、現在のコンピュータの状況を享受していたら、という意味で)ただ彼が全ての時代に貫いていたことはリアリテであり、写真がもつ写実的な記録性を活用して、それを彼の表現に翻訳するという作業を行っているのである。それは主として、ものの外形の捉え方として活用されている。またキュービスムの特性である視点の多重性における資料においても写真が重要なポイントになっている。例えば「前向きの写真」と「横向きの写真」が資料となってそれを合わせた画像としての表現となる、といった具合である。極めてキュービズム的な集落の作品には「集落を俯瞰した写真」と「見上げたような写真」を彼自身が撮っている。その外形を追求し、組み合わせて人間の視覚的真実に迫ろうという試みであったろう。それがこれらの二枚の写真が資料であったという種明かしである。このような写真資料を元に彼の表現力・デッサン力で写真を超えた人間としての表現へと昇華させていると考えるべきであろう。       2010.6.23

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