こらむ 110   人間のなすべき仕事 3

これまで絵画や彫刻などを念頭において、作品制作において「人間がなすべきこと」は何かを書いてきた。制作以前の計画も大事ではあるが、制作過程における思考が重要だと主張してきた。考えることに頼り切るのは哲学者や評論家に任せておけば良い。作家は制作することの中で事前の頭脳的思考や計画を「動機」として、新たな次元の思考へと展開していくのである。アートのそれぞれの分野によって制作過程に大きな違いがあることはあまり問題にされないようだがそれはないがしろには出来ない現実的な問題がある。例えば「彫塑」と呼ばれる分野がある。普通いいかげんに彫刻と呼んでしまうのが一般的だが、彫刻ではなく彫塑というのには明確な意味がある。彫刻はある物体から取り去ることにより、形態を生み出していく。木彫や石彫などがこれに属する。これに対して粘土で形造るのは物質を付け加えていく作業になる。木彫などは引き算の結果が作品であるに対して粘土は足し算が原則の作業で、これを「塑造」と呼んで区別しているのである。両方あわせて「彫・塑」という訳である。このようにわれわれの作業は根本的に異なっているにも関わらず曖昧なことが多いのである。特に版画の分野では心すべきである。削り残した部分を版として活用する「木版画」もあれば、付け足した部分を版とする「紙版」もあり、両方とも「凸」の部分にインクを付けて印刷する「凸版」と分類される。版を削ったりして「凹」の部分にインクを詰め込んで印刷するのが「凹版」で、版にほとんど凹凸がなく主に物理的な性質を使った「平版」、そして版を切り抜いたりしてそこをインクを通過させて印刷をする「孔版」など様々である。そこにはそれぞれの独特な作業行程があり、独特な「思考」があるのである。自分の表現しようとしている技法の中で、どのような思考を深めていくか、その制作過程を丹念に確認していくべきものである。それはどこかで誰かに教えられたものではなく、自分の表現法の制作過程の中で明らかにしていくべきことである。私としては「アナログ表現」と「デジタル表現」とを比較して「人間のなすべき仕事」においてどのような違いがあるのかを確認していきたいと考えているのである。一つの例として、今日の「週刊ギャラリー」に掲載される作品が制作される過程を追ってみよう。昨日土曜日なので見残していた個展を見るために銀座へと出向いた。10数件の個展等を見て、幾つかの刺激を受け、帰りの地下鉄へと乗った。しかし時間を確かめ「ちょっと早いな」と気まぐれに表参道駅で下車。ふらふらと無目的に歩き、パチパチと無目的にカメラのシャッターを切る。人々の表情、気持ちよく伸びきった幹から生い茂る欅の緑、苔の生えた幹、建物の部分、帰りがけには地下鉄のエスカレーターやエレベーター、ホームなどなど。家に帰り次第、早速データをコンピュータに流し込み、資料として整えながら、制作の方向を練る。あちらこちらと手を出しながら、作品とし30点程制作し、そのうちの12点を選んで「週刊ギャラリー」64、6月21日掲載分として纏めた。その中の突然変異の作品制作経過の一例を手短に纏めてみよう。欅の幹に苔がむし亀裂も入っている写真、いらない部分(自分がそう感じて)をトレミング(下の資料1)それを中央で分割左右反転してシンメトリーな画面に(資料2)何となく蛙のイメージ。それを作品化したのが今日の「週刊ギャラリー」の「自然が形成する仏」と「自然が造る祭壇」である。さらに幹のイメージから脱却したくて極座標をかける(資料3)。これも使えそうだが、私の天の邪鬼が突然活動開始し外側の放射状の形に注目する。「これだけを使ったらどうか」という考えを実現すべく中央分割反転(資料4)、その上の中央部分を選択、コピー&ペイスト続けて全面に(資料6)模様のようなものに纏め上げた。何ともクラシックだ。ついでに布目のテクスチャーを掛けて、色彩調整をして出来上がり。これでは作品としてはどうかとも思うが、何時の日にか、素材として生きてこようと考えた。今までにはないテーストの画面として保存をした。展開例も制作したがあまりできにいいものではなかった。ともあれ私の制作は揺らめくように、そして突然変異をしながら続くのである。「週刊ギャラリー」の作品も明後日には800点を超える。何とか1000点までは頑張りたいと思う。「私のなすべき仕事」を探りながら。(資料はタイトルをクリックで)2010.6.21

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