こらむ 109   人間のなすべき仕事 2

非常に綿密に制作しているのに何か魅かれるものがない、面白くない作品に良く出会う。それは制作過程についての認識の間違いから来ると私は考えている。制作を始める前にすっかり計画が出来上がっていて、それを巧みにこなす技術があれば作品は出来上がると考えている人にとって制作には不安もなければ、発見の喜びもない。ただ解っている結果に向ってノルマをこなしている。そのような作品に出会うと「ふむふむ、なかなか良く出来ている」と納得はするが心に響くものがない。これを「結末の解っている探偵小説を読むようなものだ」と私は切って捨てる。制作の段階で悩み、迷い、切り開いていく過程が、なぜ作品を見る人に伝わるのか私には解らない。しかしこれはとても重要なことだと考えている。旅行書の通りの風景を見て、案内通りの食事をして、時刻通りに進行する旅などまっぴらである。予定通りに行かずいらいらし、目的地がなかなか見つからずにおろおろし、思いがけない出来事に出会ってわくわくするのが旅の醍醐味というものだろう。名ガイドの尻について、名調子の説明を聞いてもただ白けるだけである。この制作過程での様々な思考や判断を私は「造形思考」と呼んでいる。描くこと、形作ることの小さな経過の中で、その積み重ねの中で、制作者は大切な思考(頭脳だけではなく、視覚、筋肉など体全体を総動員した)を蓄積し、そのエキスのようなものが発散され、伝達されるのかも知れない。私は、制作過程で迷いもなく、発見の無い状態で作品を作る人を「職人」と呼び、制作過程で発見の喜びを味わいながら作品造りをする人を「芸術家(アーティスト)」と種分けしている。日本の芸事の中にはこの辺のとても危険な考えや仕組みがあり、問題を余計に奥深いものにしている。「まず形から入る」とか「繰り返しの技術修練の先に見えてくる」とかを今だに誠しやかに語り継がれ、多くの人からお金を巻き上げて、世の中を狂わしている。『「形」は前の、他の人が作ったもので、今のあなたには関係ない。技術は内容によって変わってくる。「形」はあなたが作るもので、それに相応しい技術をあなたが開発するものだ』と私は無料で教える。これはとても厳しいことである。どこにも寄り掛かるものがない。個性とか、創造性とかいうものはそういうもので、他人に頼らないことから出発である。それは多くの場合稚拙さなどを伴い、劣等感も湧き出してくる。そのような至らなさからの不安や劣等感も楽しむことをお勧めする。それは全部自分の世界である。「絵」を描くということ、アートすることとはそういう厳しいが、自分の自由を獲得し、自分の世界を発見し、自分を確立する作業なのである。「うまいか、へたか」という物差しの代わりに「自分らしいか、人真似か」「自由に描いているか、技術にとらわれて描いているか」などの尺度で計ってみる。カメラやコンピュータがやれることが出来ないからといってに劣等感など感じる必要はまったくない。人間が人間らしくあるために「絵画」はある。新しく参入してきたコンピュータによって、新たに「人間のなすべき仕事」が種分けされ、明確になってくる筈である。19世紀末から20世紀の初頭にかけての絵描きたちのカメラとの闘い以上に、現代の絵描きはコンュータと闘わなければならない。これもアーティストとの大切な仕事なのである。   2010.6.20

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