こらむ 107 画廊散策 616-2

昨日17日に書いた記事は、幾つかの問題点はある作品ではあり、いささか褒めすぎた感はあるがそれはその前に前に見た幾つかの個展が影響しているようである。例えば「○○法による珠玉の作品ををお楽しみください」と銘打った作品群。確かにうまい。精密である。これはコンピュータで挑戦してみようかななどと考えて、作者がいたので話しかけた。ところが、芸大出身を鼻に掛け、人を見下した態度にうんざり。そうそうに退散。工芸が時々アートから逸脱するのと同じように技術に溺れ、人間性が欠落した作家が作る作品の見本のようなものであった。技術はひけらかすものではない。それは時に人を感動させるものではあるが、それは芸術的感動ではない。人間技とも思えないことをやってのけるサーカスを見て「わ、すごい」と驚嘆するのと同じである。その技術の向こう側にそれをやりぬく人間性が感じられた時、始めて芸術的感動に昇華する。どうだうめーだろう、という心で作品は堕落する。それは際どいところではあるが作家の生き方、考え方が見事に反映されるところである。その点は多少に欠点はあっても十分楽しめた「梅原作品」ということである。ちなみに私がこの作品に関心をもったのは「この精密さをコンピュータで表現出来るか挑戦してみたい」ということであって作品の内容ではない。人間が修練を重ねた精密な世界も、心通わぬ技術の世界なら、心持たないコンピュータにも出来るはず。沢山の精密な線を、一本一本描く中で高まっていく造形的判断力の積み重ねを、多分コンピュータが捉えられるところと不可能な世界がある筈である。1〜2週間前に見た版画の作品と比較してみる。エングレービング、ビュラン・ドライポイントと直接金属を彫り込んで版を作る作品であった。ここでは金属やそれを削り込む作業の中での造形思考が作品を高めていく。しかしそこで印刷されたものがあまりに小さいためにインクと紙とのせめぎ合いがやや希薄で、凹版特有な迫力に欠けていた。作品にはその技法の特色を感じさせる大きさというものも必要だと感じさせた作品であった。凹版の印刷はインクが紙に食い込んで、彫られたホルム以上に豊かな表現をしてくれるもので、現在の吹き付けでプリントアウトで疑似的に印刷するデジタル表現では及ばない世界である。しかしきっぱりとした抽象形態で小さな作品となるとその良さは半減というわけである。この辺にデジタル表現での限界線があり挑戦してみる価値があるように思えるのである。もう一つデジタル表現について別な角度から考えさせられる個展にであった。「独立美術展」などに出品されている方が、大作に挑まれている迫力ある個展となっていた。しかし、ところどころ技術的問題点や、息切れしたための不十分な表現が気になる。これからこの作家もますます年齢を重ね、体力が衰えてくるに違いない。都会を俯瞰した画面に楽器が配置され、特にピアノの鍵盤が波打って画面を構成していく、その中央の猫が身構える、といっシュールな画面構成である。どれもこれも描写的なデッサン力を要求される道具だてで、その点における破綻を感じてしまうのはなんとも残念である。これらの表現にしても、画面構成の思索についても、配色の計画についても,全てデジタルで行なえば、この作家はもっとすごい作品を制作出来るのに、もっと本質的な表現にエネルギーを注ぎ込めるのに、と考えてしまうのである。                       2010.6.18

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