こらむ 105 美術館訪問

東京江戸川区葛西に不思議でお洒落な美術館がある。本館はマンションの1階にあり中1階を持った空間(そこでは現在「柳原義逹の世界」が開催中)そして展示のできる木に覆われたテラスもある。少し離れたところに庭園を設えた東館がある。ここでの「小野寺優元展」「硯川秀人展」を拝見しに出掛けたのである。二人が同じ会場で行なっているのだから「二人展」と銘打ってやるのが普通だが、あくまでも別々というご案内が面白い。作品も主張も別々なのだからこれは正解。小野寺氏の作品は黒味の石でなまずやえい、平目など水に生きる(水の中に展示されていたものもあった)生き物たちが堂々として見るものを迎えていた。彼は「縄文主義宣言」など人間の根源的なパワーに関心を持ち、石という素材と闘うなかで大自然との深い関わりを表現したいと考えているのかも知れない。確かに「黒い石」はそのような形で存在している。しかしこれらの作品はほとんど「青い目」がそれもいくつもあってこちらを睨んでいる。それが強烈で彼の目指す造形の表現を凌駕している。これは「シュール」な眼であり、彼の主張との違和感のある眼である。「水棲動物の造形」と「眼の表現」と「自分のこだわり」から解放され、改めて対峙するべき問題がそこにあるはずである。硯川氏の作品はブルーを主調にした「流体」を描いた抽象画でもあり、シュールでもある不思議な空間を醸し出している。ここではエアーブラッシの独特な嫌らしさが消えて自然な空気を見ている感じである。会場に作者がいたのでいろいろと聞くことができたのであるが、彼がエアーブラッシという技法に溺れず、絵具や溶剤の性格おも使い分け表現しようとしているところに一つ乗り越えた作品になっているように思えた。しかし私としては何か物足りない感じが残る。この仕事は、これを背景にして大きなドラマにならないか、などと考えている。これは大きなお世話だ。とにかく葛西ではるばる行って充実感を味合うことが出来た。「はるばる」とは本当は間違った感覚で、私は1回の乗り継ぎで1時間足らずで行けるのだ。このような素敵な施設を多くの人が知り、出掛けるよにしなければいけない。何故なら「文化」ってのはこういう風に発生していくべきもので、これが育たなければ葛西の責任、東京に住むアーチストの責任だと思うのである。詳しくは知らないが、この美術館は個人の夢が、個人の財力によって、個人の才能によって作られ運営されていると聞く。時間は決して遠くはない。文化のためだ。人間はもっともっと好奇心をエネルギー源として「葛西」に行かねばならない。そこではきっと豊かな時間が待っている。(ちなみに私が居た小一時間の間、客は私だけだった、ああ・・・)                           2010.6.16

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