こらむ 105 表現のスタイルについて

表現のスタイルを持たない風来坊はいつも精神的に不安である。自分は何ものか。こんなことでいいのか。だからいつまでたってもアマチュアなんだ。人から言われる前に自分で自分を苛む。しかしこれが私のスタイルなのだから、と開き直る。そんな時先日の「デュオライブ」で勇気をもらった。ヒントをもらった。何故こんなことに今まで気付かなかったのだろうと不思議に思う。「週刊ギャラリー57」でライブの写真を掲載しているので参照しながらこの文を読んで欲しい。「樽本学」と「グレース美香」の二人のライブコンサートである。特にグレースの6枚の写真を比較して頂きたい。たった2時間の間に、こんなにも「多様な女」を演じている。歌う曲によって、その内容によって小道具によってちょっと変えたり、衣装をがらりと変えたり、そしてすっかり曲の化身となって歌っている。一曲一曲化けている。化けることを楽しんでいる。「かわいい女」「成熟した女」「あばすれ女」そして「悩む女」その一人一人が異なった女であるが、すべてグレースそのものである。私が考えていた表現のスタイルはこれと同じ次元のものかも知れない。どのようにあがいても「私」から逃れられない。その必要もない。私に必要なのは表現の自由を獲得維持することであって、「私」を否定することではない。「私のスタイル」などいらないということである。「表現スタイル」のないスタイルと言えばいいのか。歌手が一曲一曲心を込めて歌えば表現のスタイルも変えるのが一つの方法である。デジタル作家は一枚一枚心を込めて描けば、表現のスタイルにこだわる意味も、必要もない。これまでの絵描きが考え、表現してきたスタイル、生き方と違って当たり前である。私は私の時代の、私の生き方、表現スタイルへの関わり方を模索して行けばいいと思う。 2010.6.15

Comments are closed.