こらむ 104 デジタル時代における造形教育 2

美術教育・造形教育において重要な教育目標の一つは「創造力の育成」と書いた。創造力を養う美術教師は創造的でなければならない。創造的な生き方、考え方をしている教師のそばにいるだけで、子どもたちは創造的に育っていく。教育とはそういう恐ろしいものである。過去の遺物を(例えば自分が中学生の時に学んだこと、大学時代に制作した作品)振り回すだけで済んだ幸せな時代ではない。今15歳の目の前にいる中学生は10年後に社会で活躍することをイメージするべきである。その時に今ある時代がどんな時代であるか、自覚する必要がある。そのために20年程前の二つの出来事を書いてみよう。その一つは私が管理職として新しい中学校に赴任した時のことである。川崎市でも指導要領改訂に従って「コンピュータの導入」が始まっていて3年目(川崎は51校の中学校があり予算上一斉に導入することが出来ず、3年計画で実施されていた)ようやくその中学校に設置されることになったのである。その導入予定の機種のカタログを見て、コンピュータに精通している職員がつぶやいた。「何でこんなゴミを」新しく設置するのにこんなにも古い機種を、という怒りのつぶやきである。その仕組みはこうである。機種選定のための役所における会議は5年前に行なわれた。2年後から実施されても3年目には5年の歳月が流れる。あまりコンピュータに詳しくもない人たちが決定したものを5年後に現場に設置した時、それは「ゴミ」のようなものに変質しているのが現代の流速なのである。それを使って学習する生徒が10年後に実社会で活躍するのである。二つ目の例は、20年程前の教科書の編集会議での出来事である。著者の一人であった私が「これからの時代に対応する美術の教科書としてぜひデジタル表現のページを作るべきだ」と主張した。その席上ほとんど全員が反対であった。私は怒り狂った。「やめる」まで言い出してだだを捏ね、ただ1点の参考作品をのせることで決着。それから3年後の編集会議では社長命令で「デジタル表現のページ」が実現される。社会の流れが社長を動かし、教科書の内容を劇的に変化させたのである。最も創造的であるべき美術教師の中の、かなり優れた人たちの集団であった編集会議でも、これが実話なのである。最後にもっと恐ろしいことを書いて、この覧における教育問題に触れることは一端終わりにしたい。先日書いたようにこれを書き始めた発端は美術教育の研究会に出席してのことである。私が定年退職してから16年が過ぎている。その研究会での授業を見ての感想は「教育が後戻りしている」である。20年前の授業をされて「明日への美術教室」と銘打った研究会を見るのは辛い。多分これは日本一進んだ授業であり、研究会でもある。しかし後ろ向きである。その最大原因は教師自身の生き方の問題ではないかと感じている。「創造的でない自分は許せない」という厳しい思いがあるだろうか。創造力を養うことを生業としているならば、体中から創造力菌を発散させて授業に立ち向かって欲しい。そのことを一番自覚し、自然にその方向に立ち向かわせるのは教師自身の創造活動である。自己表現としての制作活動である。美術教師は絵を描き、彫刻をし、デザインを「自分の作品」を生み出すことと並列して教壇に立つ。辛いけれどこれが一番の創造的、個性的自分を子どもたちの前にさらす近道なのである。                                 2010.6.14

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