こらむ 103 デジタル時代における造形教育 1

美術教育、正確には「造形教育」というべき教科の根幹をなす指導目標は「個性の育成」と「創造力の開発」そして「造形的思考力」である。それらは微妙に絡み合って育成される。これらは単位時間がある程度必要であり、現在中学校はとても困難な状況におかれている。一週間に一時間だけの授業時間にオイツメラレテいる。教育全般の中でどのような能力を育成し、限られた時間数の中でどのような工夫をし、配分をするかが問題なのである。これまでの因習や、部落的なエゴイズムから脱却し未来における人間像を描き、その人間に必要な能力を分析し、再組織する必要がある。現在盛んに言われ、論議されている「学力」の中に「個性」や「創造性」が含まれていないのは実に奇妙なことであることにいい加減に気付いて欲しいものである。現在行なわれているペーパーテストで測定できる学力では、最も優秀なのはロボットであるという結論は決定的である。人間をその程度のものとしてしか考えない教育関係者は早々にお引き取り頂くべきである。現在「学力」と誤解されている内容は「コンピュータに蓄積された資料」となり、それを上手に活用する能力を指導すべきなのである。過去の「学力」はコンピュータという奴隷にまかせ、それがどのように蓄積され、どのように検索し、取り出し活用するかの術を指導していくことになろう。美術科においては先に述べた「視覚伝達」の指導は、このような分野にはいる領域で、効率よくデジタル指導で行なう。そして世の分からず屋と闘って獲得した時間で「個性」と「創造力」と「造形思考力」を養う教育を行なう。この指導時間は90分必要で、現在の50分〜45分ではとても困難な状況にある。教育改革の具体的必要性がそこにある。それをやれればどのような教科でも良いのだが、それを目指す教科があまりにも少ない。突破口を開く期待を持てるのが「美術科」であると考えているのである。何故単位時間90分必要かと言えばこれらを一人一人の人間が自分の力として獲得する修練をするために必要な最少時間なのである。例えば「造形思考」を養う具体的に授業をイメージして欲しい。木目のある、木の塊を一人一人の生徒がそれを手にしている。その「木」を見ながら何を作ろうか、一人一人が別々に考える。同じものを同じやり方で作るのではない。素材の「木」も一つ一つ異なった堅さや木目の流れを持っている。生徒たちは自分の意志で選んだ道具で木を彫り始める。木と道具との関わりが一人一人異なった形で「手」に伝わってくる。「手」や「筋肉」はどうしようかと考える。「目」も参加して一歩一歩、作ることの進行と判断の累積で制作が進められる。これを「造形思考」と名付けて大切な教育目標として考えているのである。材質と道具と人間が一体となってトータルな思考の累積の結果が作品となる。これは頭脳だけの思考とは異なった動物に近い、人間が置き忘れ、退化してきた部分を補う教育であると同時に、社会的な状況の中でも活用出来る「問題解決能力の育成」の大切な、典型的なモデルを内包しているのである。大きな目標をイメージしても、一歩一歩すすむ全ての段階で、全身で思考することの大切さを体験できるのである。人間はもっと皮膚感覚や筋肉の対応能力、そして雰囲気を感じ取る能力など、全て「思考」と考えて鍛え直されなければならない。この能力を養うために素材を準備、選択し、道具の準備、事前のイメージ・計画、そして様々な段階でのトータル思考(失敗もあり、それを乗り越える学習もある)をしながらの制作、そして道具の整理、制作の感想、反省などの経過の中の全てに教育的内容のエキスが内包されており、「時間を掛けた体験」が必要と考えているのである。「木」を彫ることは「木彫」の指導をしているだけではない。「木」を彫ることによって人間の根源的な、あるいは全人間的な能力を育成しようとしているから、一般教育で行なう意義があるのである。一人一人の生徒が誰の指示でもなく、自分の意思の積み重ねで作品を作り上げていく中で「他の人と違う自分」個性を磨き上げ、今までに無い作品を作り上げる中で「創造性」の芽を期待しているのである。コンピュータの発達で、コンピュータに振り回されない人間の尊厳を大切にする教育を期待したい。その中で「芸術を通しての人間教育」をもう一度見直してもらいたいものである。                         2010.6.13

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