こらむ 97 制作の具体的な進行について 4

昨日「この制作は30分」と書いた。1点の制作が30分などとはとんでもない、と思われる方も多いかも知れない。しかしよく考えてみてもらいたい。私は駄作の行列かも知れないが「週刊ギャラリー」では毎日12点を掲示している。12点の制作は1点1時間かければ12時間、30分で丁度6時間の作業なのである。私の1日の制作時間は6時間、超過勤務は2時間を越えないこと、と自分に言い聞かせてほぼ守っている。体、特に目に気を遣ってのことである。午後は家に居れば超過勤務になる危険性もあるので、巷に出ることにしている。ともあれ6時間を掛けずに12点の作品を作り上げている習慣がそろそろ50日続いていることになる。これは無理なことではなく、誰でもができるデジタル制作の特色であると考える。これまでのアーティストが1時間、1日、1月、1年かかって思考し、判断し、制作していたことを、瞬時に行なうのが特色とすれば、これまでの方法論は通用しない世界だと考えるべきである。まず、制作時間が短いから芸術的価値が無いとか、低いとかは言うことは無い。30分で描いたクロッキーやデッサンでも素晴らしいものが沢山ある。演劇や音楽は瞬間瞬間の積み重ねである。アクションペインティングからハップニング、インスタレーションへの系譜はその行なっている時間そのものが重要だと考えている訳でそこで費やされている時間の長さなど決して芸術的価値とは関係ないものであることを主張している。ここで重要なことは、短時間で制作が進行されるのが特色とすれば、それが軽薄な表現にならないための方法を考えておくことだと思う。瞬間瞬間の判断力を研ぎすますトレーニングも必要かも知れない。より表現を深めるための技法についての習熟も求められるだろう。しかしそれよりも根底に制作状況を整備していく努力が必要と考える。まず資料の収集と分類である。それは風景画家が世界を駆け巡って描く対象となる風景を探すのに匹敵する。花を求め、素晴らしいモデルを求め、そこから得る感動をもとに制作するように、私にはメディアに収録されてある「資料」をディスプレー表示することで制作が始まるのである。従ってその「資料」は私の感覚を揺さぶり、意欲を駆り立てるような、刺激的なもの、魅力的なものでありたい。そして出来ることなら「資料」そのものが密度のあるものでありたい。これまでの経験ではこれはかなり重要なことで、これが短時間制作でも軽薄さを感じさせない鍵になっているようにも思える。別な言い方ををすれば、資料収集も重要な制作過程であり、その質は作品の質に直接関係してくるものである。それは日常的な感覚から思想に至るさまざまなレベルで選択され、最大限の行動力に支えられるものである。ここでの制作者としての才能にとして「好奇心」「行動力」「判断力」が要求されるはずである。このようにして「収集された資料」が短時間制作の土壌であり、絶対の条件であると考えている。 2010.6.6

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