こらむ 93 制作過程における思考について

制作方法についていろいろ考えた結果、「私にとってスカイツリーは表現したい対象であったのではない。ただ、野次馬的にそこへ行っただけで、『表現すべき対象』を求めて行ったのではない」ということに気がついた。従って二日目のように半端に取材目標をもったと誤解しての取材資料も、制作時には、取材時の思考とは隔離し、素材として自由にとり扱う、という私流の制作法を今しばらく継続することとした。柄に似合わず悩んでみたところで、元にもどった。「鳩山さん」のようだなと思っていたら「遂に総理大臣辞任」というニュースが飛び込んで来た。私には退陣は無い。死ぬまで不滅だ!。取材は無目的に、あまり制作上の結果を考えず、自由に感情の趣くままに行なう。とにかく好奇心の趣くままに行動し、自然にシャターを切り、そこに今を生きる私の生き様や、考え方が自然に反映するものと思い込みたい。そのための自由を確保することである。取材を的をもって行なうということは出掛ける前の思考で、現場における思考ではない。出掛ける前の思考は出掛けための動機と考える。その現場に立った時は新鮮な感覚でそこでの状況等を捉え、改めて思考を開始する。それが取材という行為であろう。そのようにして集められた資料は、遣い易いように分類・保管をする。この作業も別な自由な感覚で行なう。気が向いたら資料として呼び出し、制作をする。これもまったく独立した選択感覚で行なう。これらの全ての段階で「選択」というフィルターが働く。このトータルな判断の中に「私」が浮かび上がってくることを期待しているのである。取材に出発する時の思考にとらわれることは、木材を前にして木目も、鑿の感触も無視して、ただひたすら自分の作りたい形を目指す木彫家と同じではないかと考えたのである。木彫家は木と対峙し、対話をしながら、どのような形にするか改めて考え(彫ることがすなわち思考)ていくことの累積と結果が作品となるべきであろう。「木」を自分の奴隷と考え違いをする木彫家の作品には必ず隙間風のようなうすら寒さを感じるものである。そんな作家にはなりたくない。私の制作の全ての過程で感覚を研ぎすまし、何を表現したのかを考えていきたいとおもう。この方法でまだまだ当分の間進めて行こうと思う。現在の目標は「週刊ギャラリー」で1000点掲示を達成することと決めている。4月19日に始めたのだから、7月中旬には目標達成となる計算である。それまでは今流のやり方で進み、1000点を越えたところで作品の整理・分類をして、改めて自分の在り方、制作の方法など再検討してみたいと考えている。                            2010.6.3

Comments are closed.