こらむ 92  それでも犬は当ても無く歩き回る

結局3日続けて押上、向島、浅草近辺を歩き回った。3日目の6月1日の変わったこと言えばカメラは持って行ったが結局1枚も写真を撮らず、ひたすら歩き、考えていたことである。1日目は始めての場所への好奇心の趣くまま歩き、シャターを切った。2日目は1日目の反省にもとずいて画面を求め、資料として収集して歩いた。3日目は歩き求めることは私にとって何なのか、私が写真を撮ることの意味は何なのかをひたすら考え歩いた。結論は、制作上で表れた。目的を持って撮り回った写真をもとに制作した作品を掲示しようと用意したのが今日の「今週のギャラリ−45-1」であった。その萎縮した作品が気に喰わず早速「今週のギャラリ−45−2」の作品を作ってしまったのである。このような作品を作ろうと始めから考えて取材をしたところで、その範囲に留まることが不満で、楽しくない。この我がままさを自分でどう制御するか、これからの問題として「継続審議」である。とにかく作り直し作品と並列して掲示するという状況が示すように、私の心は「混乱中」なのである。口直しと言おうか、頭直しに、また銀座画廊まわりをする。今日はいろいろと収穫ありであった。ガレリア・グラフィカで篠崎淳子さんのリトグラフ、ほんのりとした季節感を抽象的な画面でまとめられておりいかにも「春陽会」という感じがしたが、後で聞いたら今年始めて出品したとのことでちょっとびっくり。リトグラフの制作上の現状などをいろいろ伺うことが出来、有意義な時間を過ごすことができた。途中でもいろいろ書きたい展示にも出会ったが今日のところは飛ばして、ユにグラバス銀座館での鹿田五十鈴さんの「森」展について書いておこう。カリギュラフィーという分野があるが例えばアルツーングなどは盛んにそのような意味で紹介されたが、それをそのまま「書」と翻訳されては如何なものかという感じがしていた。鹿田さんの作品を見て「これぞジャパニーズ・カリギュラフィー」と心の中で叫んだ。「森」の持つさまざまなイメージを森という文字の姿がほとんど表れない形で「墨」で表現をされている。墨のもつ豊かな「色彩」がモノクロームの世界で展開されて心地よい。奈良の出身と聞いて納得。彼女は「墨が友達」と言っていたが、本当に気心の知れた友達と良い関係を保っているようである。作者と話している間中、「墨は生き物」「墨は神様」などという言葉が頭の中で跳ね回って酩酊状態であった。                   2010.6.2

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